ボディビル界の生ける伝説「小沼敏雄」さん。
現JBBFボディビルチャンプの横川尚孝選手・鈴木雅選手、相澤隼人選手含め、リスペクトの意味を含め、名前を聞くことが多くありました。
実際に調べ、写真を見た時に衝撃を受けました。
「カッケー。。」
正直、今まで知らなかったことが恥ずかしい。。
全日本14連覇という偉業を達成、体つきはNABBAのクラシックモデルを思わせる美しさ。
衝撃を記事に残しているので、楽しんでね^^
小沼敏雄とは
小沼敏雄(こぬま としお)
生年月日:1959年1月2日
出身地:埼玉県(三郷市)
身長:175cm
体重:85kg(オフ) 78kg(オン)
経歴
・1983年 ミスター日本 2位
・1984年 ミスター日本 2位
・1985年 ミスター日本 優勝
・1987年~1999年 ミスター日本 優勝
・1988年 アジアボディビルディング選手権(90kg以下級) 優勝
・1989年 アジアボディビルディング選手権(85kg以下級) 優勝
・2002年 ミスターユニバース(40歳の部 80kg級) 優勝
小沼敏雄さんのボディビルの特徴は、日本人離れしたプロポーションです。
腕・肩といったパーツは小さいとも言われていますが、当時のボディビルディングの中でまず目に入るのが小沼さん。
黒人のようなカット・ハリのハムストリングス、八頭身のシルエット。
かっこいいと思わない人間はいませんよ。
今の時代の人間でも同じように思います。
特に生涯ナチュラルだったというのが、同じコンペティターとして尊敬します。
同世代の山本義徳選手は元は同じ団体も、違う団体にチャレンジしていく中で、小沼さんはナチュラルにこだわりました。
肉体をみても、凄さは分かりますよね。
小沼敏雄の伝説的なエピソード
1987年ミスター日本の際、比較審査無く優勝決定したという伝説があります。
観客が「小沼を見せろ〜❗️」と大ブーイング。
最後にちょろっと小沼さんがピックアップで呼ばれるという。
この伝説はミスター日本2回目を獲る際に、実際にあったことだそうです。
小沼さんはパーソナルトレーニングは受け付けない。
理由は自分のトレーニング時間が減るからだそうです。
小沼さんクラスの方でしたら一時間何万円も取れるはずですが、小沼さんにとってお金は必要以上には要らないと。
→*現在は何人も弟子を抱えています。簡単にパーソナルを受け付けるというのはしないようですが、GG町田で毎週木曜にトレーナーとして勤務されています。ボディビルポーズ・トレーニングの指導、審査員、セミナー業務、ボディビルの普及に活躍されています。
当時の貴重な写真をアップ
肉体
当時、大会2ヶ月前で大円筋を切ってしまい背中のトレーニングがままならない状態であった。
バックスプレッドもとりにくい状態であったが、見事優勝。
その当時の写真をアップ。
この写真でも若干仕上がりが甘いとのことだが、十分えぐい。。
1980〜90年代の選手たちの中では、プロポーションが群を抜いて目立っています。
食事
食事メニュー(昼:弁当)
玄米のオニギリ、鳥の胸肉、野菜、ゆず、松の実
昼は毎日このようなメニューです。
ご飯は摂取しすぎないように、スープは一切摂取しない、おかずが食べ終わってからオニギリだけを食べるようにしている。
夜はグラス一杯のワインを飲むことが楽しみ。
当時と現在のトレーニング方法の違い
当時のトレーニング方法のDVD
DVDの一部ですが、超高重量をぶん回す。
しかもハイボリュームで。
チンニングに荷重プレートを40〜60kg付ける。
240kgもの重さでスクワット10回を4セット。
拝見したイメージは、超高重量でガシガシやっているイメージです。筋肉の太さをつけるには間違い無いなと。
もちろん、各種体の使い方&コツなど学べますが、もう一度高重量の必要性を学ぶ貴重なDVDかと感じます。
小沼敏雄書籍シリーズ
2020年7月に発売されたアイアンマン。
再び、小沼敏雄さんの伝説を知ることができます。
なぜ、ここまでの肉体を作ることができたのか。食事・トレーニング・休養・環境などを知ることができます。
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